2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」4

老師内田樹また曰く、 独学者とはだれのことか? それは「他者」に双数的=想像的構えで立ち向かう 者のことである。 独学者もまた異論と対話を試みるし、テキストからの 呼びかけに耳を傾けることがあるだろう。 けれども、彼の努力は「自分がすでに知って…

レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」3

老師内田樹曰く、 ソクラテスに反対して、レヴィナスはこう説く。 師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも 外部が存在することを教えることである。 それは「師の現前」というそれ自体「外部的」な経験によって 担保される。 (内田樹『他者と…

レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」2

ソクラテスは、人が考えることのうちには際限がない、どのようなところまでも考えるということができるはずだ、と考えた。無限はすでに自分の中にある。だから「知るというのは思い出すこと」に似ている。想起(アナムネシス)説である。しかし、レヴィナス…

雛祭り

今日も研修で、家族と食事がとれない。 研修会で発題した女性が、質疑でずいぶん苦しみ 目に涙をためながら(花粉症だったのかな?) 応答していました。 さいごにぼそっと「今日は雛祭りなのに」 これは、明日、家族と食べよう。

レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」

自分ひとりで考える人は、「師」=他者を持たない「独学者」と呼ばれ、呪われるべき存在である。 ※引用は、加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波書店) 独学者 ebapon は「呪われるべき存在」だったのか。 そういえば、釈徹宗先生は研修会の帰りに宇佐…

レヴィナシアン2

ブログタイトルとなっている MINIMUM POSSIBLE は清沢満之さんの言葉です。 比較宗教の立場から、ebaponは自己と他者をめぐって 満之とレヴィナスを研究しています。 特に「全体性と無限」という両者の鬩ぎ合いのうちに 問題の所在を探っています。 (写真は…

レヴィナシアン

ebaponはレヴィナシアンです。 というより、レヴィナスの著書に長く親しんでいる一読者です。 (残念ながら、原書は読んだことはありません。) 先日、お会いした釈徹宗さんに、レヴィナシアンであることを カムアウトしたら、 では、良き師をとすすめていた…