レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」3


 老師内田樹曰く、


 ソクラテスに反対して、レヴィナスはこう説く。

 師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも

 外部が存在することを教えることである。

 それは「師の現前」というそれ自体「外部的」な経験によって

 担保される。


 (内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス海鳥社より)




 ebaponが携わっている「真宗」においても、「よきひと」=「師の現前」は

 重要な契機となっている。おそらくそれは ”「外部的」な経験によって”

 もたらされたものであろう。

 (この点は、20願の問題として、いずれ畏友「藤場俊基」説を紹介します)





 アイデンティティ・クライシスに陥ったモーフィアスebaponは

 救世主ネオこと釈徹宗さんと接触する。





 斯界きっての理論派で「単独者」釈徹宗さん

 (インターネット長屋〜大家さんは内田樹さん〜の持仏堂住職)

 とebaponはコンタクトする。



 しかし







 すでに







 救世主釈徹宗は覚醒していた!





  
 (お二人の写真は、『インターネット持仏堂1「いきなりはじめる浄土真宗」』(本願寺出版社)の口絵写真です)