ある時、お釈迦様は、仏弟子阿難に
「私は、愛するところの身を捨てた」と語り始めた。
その証拠として阿難をして「苦行の菩薩の遺身の舎利」を見せしめる。
(阿難とトーマスは余りに似ている。イエスの創痕に触れなければその復活を
信じないように、まず釈尊は遺骨を見せるのである)
2C頃、釈尊の本生譚が編纂され始める。
日本でよく知られているのは玉虫厨子に描かれた二つの
本生説話(ジャータカ)
ひとつは、施身聞偈の雪山王子(『涅槃経』に依る)
そして、捨身飼虎の薩埵王子(『金光明最勝王経』に依る)
特に後者は文字通り「菩薩の自己犠牲的利他精神の取り入れ」を象徴する存在だ。
遺骨を見せた釈尊は
「捨身飼虎」を語り始める
昔、国王ありき。三人の王子ありき。(略)時に王子(略)
大なる竹の林に至りて一の虎の七の子を産めるを見る。
飢えに迫れて、つかれ痩せたり。死なむこと久しかるまじ。
(略)
三人の王子、(略)心にかなしびて虎を守ること目暫くも捨てず。
久しく有りてみな去りぬ。
薩埵王子、行くままにいよいよ深く念ふ、
「我が身を捨てむこと、今正しく此の時なり」
(略)
薩埵王子走り返りて、林の中に入りて、虎のもとに至りぬ。
衣を脱ぎ捨て、竹にかけて