すべての友に捧ぐ 松村雄策ラストアルバム
"Unfinished Remembers Yusaku Matsumura"
僕は苺畑へ行って
苺を全部つぶして
畑を血の海にしてしまった
(苺畑のヒッチハイカー)
15年間のミュージシャン生活に終止符を打ち
小説を書き始める
4年を費やし書き上げたのが
60年代少年小説
WITH THE BEATLES 1963-1970
『苺畑の午前五時』
この小説は、もちろんビートルズのストロベリー・フィールド・フォーエバーと
バッド・フィンガーの午前五時をモチーフに描かれている
と思う。
(午前五時は、小説中とても大事な時だけれど、それは実体験に基 づく刻なのか、夜明け前を表しているのか、なにかの引用
なのかは判らない)
小説は、父の死で終わる。
その父のパスポートの顔写真の下には「左ホオニナナメニ傷」とかかれていたそうである。
もちろん、少年には父の職業は判らない。
実際、松村の父は、「銀座の松村」と呼ばれその筋では有名な男であったそうである。
銀座のクラブで斬りつけられた父は、病院にはもちろん行かず、家に飛び戻り、拳銃を持って、飛び出たそうである。
うーーーん。だんだん少年小説の話でなくなってきたぞ。
そういえば、うちの◎◎おいさんも、若い頃、腹を切られ、腸が飛び出したなあ。
病院に行かず、はみ出した腸を元に戻し、さらしをきつく巻いてドスをもって、飛び出していったなあ。
それから、ずーと姿を見せなかったけれど、
何年かたったある日、赤飯もって、訪ねてきたんだ。
「これずっと着てたジャージ」
ってもらったんだよな。
小柄なおじさんだから、ebaponには入らず、姉貴が貰ったんだ。
(姉貴は大学時代、体育の授業中そのジャージを着ていたんだ)
姪の○なこは、小さいときおじちゃんとよくお風呂に入っていて
「うちのおじちゃんは、体中に盲腸の跡があるんだよ」
っていってた。
額にもあるとか。
そういえば、松村さんのラストアルバムのU2みたいな写真。
これって、銀座の松村が撮ったんだよね。
なんか横に置いてある時計が「かち・かち」自己主張始めたぞ。
うん、えっ、背中、背中?。
そう、そう、おいさんの背中のもんもん。東大の先生が是非標本にと予約してあるそうだ。
ん。違う、ああ、お前の背中ね。
おお、お前は「銀座の村松」
うん、まあ、若い頃、確かに銀座で「かち・かち」鳴らしていた。
(完全に脱線しました。後日改めて)