蛭子さんのこと

ジャイアント馬場さんは亡くなるまでの五年間

大好きな葉巻を咥えることはなかった。

逸見政孝が記者会見(1993年9月6日)でガンをカムアウトしてからのことである。

馬場さんらしいリスペクトの表明だと思う。


(逸見は三ヶ月後48歳で亡くなっている)


彼の追悼番組に駆けつけるため蛭子能収は自宅に喪服を取りに戻った。

そこで、プロデューサーから電話を受ける。


「蛭子さんは葬儀の時笑ってしまう癖がありますよね」

「僕そうなんですよね、アハハ」


その番組に蛭子の姿がなかったことはよく知られている。


実際、彼は人が真面目な顔をしているのをみると、どうしても笑ってしまうそうだ。

でも、それだけでは無いようだ。


彼がパチンコをうっているとき、女房から電話が入り、編集者が亡くなったから

至急帰るように、と連絡を受けたことがある。

「でも、いま5000円分、玉を買ったばかりだし」



母が亡くなったときは、仕事を優先させ、通夜・葬儀とも出なかった。

「母は何でも許してくれる」 蛭子のポリシーである。


兄も漁に出ていて、喪主はその嫁さんが勤めたそう。

葬儀の翌日、挨拶回りに蛭子は郷里に戻る。

挨拶回りを終えて、兄とパチンコに行こうとするのを

義理の兄に見とがめられる。

義理の兄がいなくなると、兄は蛭子に

「昨日、パチンコで4万勝った」と囁いた。



兄は、実は葬儀に間に合っていた。でも場所が判らず

パチンコをうっていたのである。


蛭子能収「くにとのつきあいかた 82 母の死につき合う」思想の科学1995,5号)