犬神人、あるいはカロンの言葉 4

河田光夫によれば、犬神人は「火葬を見ているんじゃないんです。当時、犬神人の葬式での職能というのは、どうも輿をかつぐところに限定されるようですが、そういう職能とは関係なく、ここに来ている」、と。
(既出『親鸞と被差別民衆』)

ebaponは、親鸞と犬神人との間に、信仰的靱帯があったと考えている。

(黒田日出男の河田論考に対する批判的考察について、ebaponは現時点で見ていない)

しかし、それは上宮寺本のごとく泣き崩れる質のものではない。

「他者の痕跡」としてそれはとらえるべき質のものである。

内にも外にも、犬神人はその感情を表出してはいない。

まして、現代人がその内面を忖度することなど、烏滸がましい所行である。

しかし、あえて、その内面に立ち入ることを許されるならば

あの『ヒストリエ』のカロンの言葉をここに引きたい。


嘉禄3(1227)年、法然の墳墓を破却したのは、祇園社の犬神人たちである。

それから35年、その地に建てられた親鸞の墓。

ただ、じっと睨め付けることが唯一許された犬神人の仕草であったのではないか。