雪山童子の前に姿を現した羅刹
その正体は
羅刹はその変化身であった。
ヒマラヤ山中の苦行者
雪山童子
帝釈是れを見て思はく、
「魚の子は多かれど魚と成るは少なし。アンラの花は滋けれども菓子を結ぶは希なり。
人もまた是の如し。心を発す物は多かれど仏に成るは希なり。
惣て諸の菩提心は、事に触れて動き安く苦びを恐りて励みがたき事、
水の内の月波に随ひて動き安く、鎧を着たる軍の戦ふに臨みて恐りて逃ぐるが如し。
此の人の心をも行きて心見て知るべし」と念ふ。
(三宝絵 既出)
帝釈の動機は、あきらかである。
しかし、ウラン袴谷憲昭先生は、ゼベットもまた操られているという。
「ボラー」
帝釈にはもう一つ隠された動機があるという。
それは、
(つづく 後ろの正面だあれ編はまだ後でした)