ピーター・バラカン

ponにとって、バラカンさんは英国のとっぽい兄さんって感じだが

彼が日本に興味を持ったのは、ミャンマー人のお母さんが平仮名を読めたことからだった。

(詳しいことは知らないけれど、戦場に架ける橋で有名な、泰緬鉄道と何か関わりがあるのだろうか)

一時期、YMOの事務局にいて、同じテーマでもある捕虜収容所の出来事を描いた『戦場のメリー・クリスマス』に関わったのは何か不思議なモノを感じる。(坂本龍一の付き人で、センメリの撮影、カンヌまで同行したそう。英国人捕虜はデビット・ボウイだったね)

まあ、その辺のことはよしとして?

バラカンさんの紹介するアルバムは独特で面白い。

この240枚の中にはデビット・ボウイも、レッド・ゼペリンも、クイーンも出てこない。

80年代、ポッパーズMTVの時代を開くと

追悼文を書いて、その時代、スリラーとであった衝撃とその意義まで綴っている

マイケル・ジャクソンのアルバムも、一枚も揚げられていない。


「ポッパーズMTV」のおかげで大好きになったグループ
ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズの「スポーツ」
を取り上げる中で、こんな事を書いている。

「84年の春から、突然テレビに出ることになった。ラジオが大好きなぼくはテレビで仕事をしたいと思ったことは一度もなく、最初は断るつもりだったが、「ザ・ポッパーズMTV」はいろんな意味で普通の音楽テレビ番組とは一線を画していた」

(うん、うん。良い姿勢だね)


「まず、マイケル・ジャクソンやマドンナのようなヒット曲だけを放送するのではなく、ある程度作品本位の選曲をするという製作のポリシーがあった」


(って、おいおい)