サンタの開けた穴、あるいはponのマクシム

今日、pon娘は連れあいとデパートのペット売り場へ

モルモットの餌「ぼく草」を買いに行った。


連れあいの顔を見るなりペットショップのおばちゃんは

「ああ、モルモット、懐いた?」

「ええ、まあ・・・」と曖昧にこたえる連れあい。


pon娘は不思議そうな顔をしている。

(どうして、このおばちゃんはあたいのサンタさんからの贈り物のことを知っているのだろう)



 註 pon娘はこのブログを読んでいます。まだそのへんのところカムアウトしていませんのでよろしく


ところで、サンタさんはご丁寧に、モルモットと飼育セット一式を贈ってくれた。


その中に、写真の「ぼく草」の袋詰めがあって

ご丁寧にもプライスタグを剥がしてくれていた。



で、ビニールが薄いので破れ、丸い穴が開いてしまう。



クリスマスの朝、pon娘は

「なんで、ここに穴が開いているのかなぁ」

としきりに不思議がっていた。


で、今日、

このシールを観て

「あっサンタさんこれを剥がそうとして穴を開けたのね」

・・・・・・



あっ、これは穴ではなく

「森の図」

先日取り上げた、加藤典洋さんの本『言語表現法講義』の結びに出てくる、

デカルトの森の比喩」(加藤さん命名


デカルトはこういっている。

岩波文庫版『方法序説』落合太郎訳)




私の第二の格率は、私の平生の行動の上では私に可能である限り、どこまでも志を堅くして、断じて迷わぬこと、そうしていかに疑わしい意見であるにせよ一たびそれとみずから決定した以上は、それがきわめて確実なものであったかのように、どこまでも忠実にそれに従うことであった。
このことを私は旅人になぞらえたのであった。



どこか二河譬に似ているね。
続きを読んでみよう。


かれらが森の中で道に迷ったならば、もちろん一カ所に立ち止まっていてはならないばかりではなく、あちらこちらとさまよい歩いてはならぬ、絶えず同じ方向へとどきるだけまっすぐに歩くべきである。たとえ最初にかれらをしてこの方角を択ぶにいたらしめたものがおそらく偶然のみであったにもせよ、薄弱な理由のゆえにこれを変えてはならない。なぜなら、このようにするならば、かれらの望む地点にうまく出られぬにしても、ついには少なくともどこかにたどり着くであろうし、それはたしかに森の中にたたずむよりもよかろうから。




さーーて。


ponと一緒に研究してきた人はピーーんと来るよね。


「はいっ」って

す山君が手を挙げるのが見えるようだ。



あっ ボヤッキーn川君、あくびをする所じゃないよ。


つづく