(ただいま研究室「新旧継承式」からもどりました。ちょっと疲れましたので
ブログの内容を二つに分けます)
まもなく宗祖(親鸞聖人)の七百五十回の御遠忌を迎える。
テーマは「今、いのちが あなたを生きている」
実はこのテーマをめぐって賛否両論喧しい。
(ponはおおむね容認派)
とくに「いのちがあなたを生きている」って意味が分からん?ってのが主流だ。
(この点を批判したものとして上の写真、海野孝憲さんの『いのちの意味』が詳しい)
またこういうテーマの安易さについては、
佐々木閑先生の意見が参照される
(日々是修行ー現代人のための仏教百話
朝日新聞に連載されたものなので読まれた方も多いと思います)
ちょっと長いけど、引用させていただく。
第五十四話
「生かされる」という諸刃の剣
(前略)
仏教界で人気のある標語に、「生かされている私」という言葉がある。
ここには主語がない。
何が私を生かしているのか。
それが問題だ。
創造主が私を生かしているのなら、キリスト教やイスラム教のような一神教だ。
そうでないとしたらなんだ。
先祖の霊か、超能力者の尊師か。
そこが宗教の分かれ目、肝心要の分岐点なのに、それが分からない。
だからどんな宗教にでも使える。
ということは、何かを語っているように見えて、
実際は何も語っていないのである。
(つづく)