説法せずして布施取たる事

「不思議ちゃん」考の関係で

無住の『沙石集』を読んでいたら

「有所得の説法の事」なる

とても耳の痛い段があった。


pon寺もまもなくお彼岸で、法話をしなくてはならない

まあ、適当に世間話でもしながら、すこし仏教のことなど織り交ぜて

と軽く考えていた矢先

それは「有所得の説法(邪命説法)」だぞ、とお釈迦様から頭をごつんとされたようだ(笑


「諸法実相を知らずして、有為の法(現象界の法、いわゆる世間話ね)を説きて、無相の理を説かざるは邪命説法なり」


いたたたた


「説法せずして布施取たる事」

これまた身につまされる(笑


この段では逆修説法だけれど

まあ、葬儀の時に表白しようと

「懐をさぐるに折り紙(奉書)なし」

焦ってそらで言おうとしても

いつも「人に書かせて、形の如く読みつけたれば」

一句をも思い出さない(汗


それでも布施だけは戴いて帰る坊さんの話


・・・・・


ところで、最近、pon市にも

「どの宗派の葬儀でも引き受けます」という

スーパーマルチなお坊さんがいるそうだ


自分とこの説法もおぼつかないponが言うのはおこがましいけれど

ちゃんと説法できるのかしら