親鸞聖人が「是旃陀羅」の経言と向き合ったのは
30歳代の筆跡といわれる『観阿弥陀経集注』です。
善導の観経疏のあの差別的といわれる文との出遇いも
ここででしょう。
存覚は29歳の時、この集注を書写しています
ということは、親鸞聖人が29歳の時
法然上人との出遇いの中でこの営みがなされていた
という伝承が、存覚の時代にはあったのではないか
とponは考えています。
叡山大乗院と六角堂参籠の中で集中的に考えられた課題の一つに
この「是旃陀羅」の文があったということでもあります。
(※1200年成立の楽邦文類の伝来の問題はひとまずおいておきます)