玉日姫伝説はなぜ創作されたのか3

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玉日姫実在の科学的根拠として、2012年に行われた廟所の修復に伴う発掘調査結果であるが、
「発掘の結果、幕末の墓跡から、骨壺に転用された火消し壺と玉日姫の骨と考えられる火葬骨が発見された」と報じられている。
火消し壺は江戸後期のもので、記録に残る江戸期の改葬を裏付けるものだが、問題は出土した火葬骨である。

松尾剛次は『知られざる親鸞』で次のように記している(112頁)。

ただちに、パリノ・サーヴェイ株式会社(大阪市)に骨の鑑定を依頼した。その結果は「頭蓋骨の破片が多く見られる」こと、「性別・年齢については、あまりにも小破片であったために特定することができなかった」という結果が出た。残念なことに、性別・年齢がわからないということである。

これは江戸期の改葬を裏付けるものであり、実在の科学的根拠を言うものではない。つづけて松尾は

また、火葬骨であるためにコラーゲンなどの有機物が少なく、C14などを使って、骨が鎌倉時代のものであるか否かを科学的に断定できなかった。

つまり科学的根拠も考古学的根拠も「江戸期の改葬」以外裏付けるものはなにもないといっている。特に疑問に思うのはその調査法である。「火葬骨であるためにコラーゲンなどの有機物が少なく」とあるが、通常火葬骨のカーボン14による年代鑑定は、有機物ではないはずで、どうも鑑定依頼はそこまで要求していなかったのではないか、と推測されるのである。

鎌倉期の高僧・貞慶の骨壺か 三郷町の持聖院五輪塔下から出土(2016年08月6日 産経新聞奈良支局)のニュースは記憶に新しい。

「三郷町の持聖院と元興寺文化財研究所(奈良市)は5日、同院の五輪塔下から出土した骨壺の骨を分析した結果、平安時代後期~鎌倉時代初期頃の成人男性のものと判明したと発表した。同院の前身、惣持寺を創建したともされる高僧、解脱房貞慶(げだつぼうじょうけい、1155~1213年)の遺骨の可能性が高いという」

という。玉日姫と同じ火葬骨の鑑定だが、

壺は口径約10センチ、高さ約22センチの渥美焼の陶器。残っていた骨は火葬人骨で、年代測定で貞慶の没年代を含む1147~1218年と判明した。大きさから成人男性とみられるという。

との鑑定結果が出ている。鑑定方法には

「火葬骨の炭酸ヒドロキシアパタイトを用いた 14C 年代測定」

である。有機質ではなく無機質の年代測定である。玉日姫のケースではなぜそこまで踏み込んで鑑定依頼を出さなかったのか疑問である。当時その選択肢がなかったのか、その意思がなかったのか、また選択しても鑑定不能なのか、さらに再調査を依頼する意思があるか、等を是非明らかにして欲しい。