後白河法皇の13回忌以来、800年ぶりの法要 京都・三十三間堂で厳かに https://t.co/Q75w7GhYwC
— 京都新聞 (@kyoto_np) 2020年10月4日
土御門の発願で元久元年(1204)、後白河法皇の十三回忌が蓮華王院(三十三間堂)で勤められた。
法然らは、浄土三部経の如法経、六時礼讃を勤修
この時点での六時礼讃は音博士はなく、安楽房遵西のアレンジによっている。
ところで、蓮華王院は後白河の発願、平清盛の寄進で建立(1164)された
安楽は、清盛の従孫で、後白河に寵愛をうけている
すでに要注意人物であった安楽の動向が気になる
(翌年、興福寺の奏状が出されているのだ)
浄土三部経の手写は法然であるが、実際は弟子が筆を執っているとしたら
達筆の安楽が担当したかもしれない(と妄想)。
ちなみに「如法経」について、西村玲は
法式に従って清浄に書写された経典や、それを安置し埋納する供養をさす。経典は主として『法華経』であるが、「浄土三部経」も多い。経典書写による功徳を願ったり、末法による法滅を恐れて、弥勒菩薩の下生まで経典を伝えるために行われた。天長年間(八二四─八三四)に天台宗の円仁が、比叡山に『法華経』を安置したのが起源とされる。平安時代から江戸時代まで、山岳信仰とも結びついて全国的に行われ、近畿地方に多く見られる。
と記している(新篇 浄土宗大辞典)