補論 是旃陀羅考の第二章は「変成男子」の願を論じる予定でしたが
コロナ禍の影響で昨年度研究発表することが出来ませんでした。
二章を飛ばして、本論の「勅額」問題に関わる三章に入ろうかと思いましたが
「是旃陀羅」問題のように手遅れになってしまう怖れがありますので
はやめに論じておく必要があります。
「是旃陀羅」について、ご本山は「是旃陀羅の言葉を聞くと心が痛む」御門徒のことに
プライオリティをおいていますが、ここで問われているのは、親鸞聖人が「差別的言辞を使ったかいなか」で
聖人ご自身の「人権」にかかわる問題です。いわれなき差別にこころを痛める人と、いわれなき差別者の
レッテルが貼られようとしている人(もしくはその可能性がある人)とは、
同じ立場におかれた存在として見ていかなくてはなりません。