事件としての転向

ある国学者の転向問題を追っていたとき

親鸞と同じ問題を扱っていることに気づいたことがある

『教行信証』難読箇所の一つで

ponも相当苦しんだが

曽我量深師のひとことで氷解したのであった

畏るべし 親鸞、今親鸞

(この問題は補論では扱わず、本論の結論部になります。

因みに中国学ではまだ解けていない問題でもあります)