毘陀論経説3

毘陀論経説に基づいて、善導も親鸞も立論している。

わたしたちは毘陀論経説を忘却し、差別の具にしてしまった

(その理由は推測することが出来る)

ともあれ責任は私たちに有り、指弾されることは当然のことで、応答責任がある


《作業手順》

差別言辞とされる文言には典拠が明記してあるから、先ず探し出す(教研も頑張っている)。

見つからない可能性があるから、何が書かれているか全体の文脈から推定していく。

それでも、どうしても分からないなら、そのことをもって謝罪しよう

(ただし、毘陀論経説は差別を目的として言っていない可能性があるから、削除や不読は不可。

冤罪を避けるため)

という流れで、研究所で論究してきて、現時点で毘陀論経説が何であるか判明した

(旃陀羅は親殺しではない前提で書かれていることが判明。冤罪は避けられた。

あらためて、責任の所在を解明する作業に入る)

(六年にわたり、その都度、論文の形式で報告している)

他の研究をみると、その作業を怠って発言しているひとが多い