毘陀論経説に基づいて、善導も親鸞も立論している。
わたしたちは毘陀論経説を忘却し、差別の具にしてしまった
(その理由は推測することが出来る)
ともあれ責任は私たちに有り、指弾されることは当然のことで、応答責任がある
《作業手順》
差別言辞とされる文言には典拠が明記してあるから、先ず探し出す(教研も頑張っている)。
見つからない可能性があるから、何が書かれているか全体の文脈から推定していく。
それでも、どうしても分からないなら、そのことをもって謝罪しよう
(ただし、毘陀論経説は差別を目的として言っていない可能性があるから、削除や不読は不可。
冤罪を避けるため)
という流れで、研究所で論究してきて、現時点で毘陀論経説が何であるか判明した
(旃陀羅は親殺しではない前提で書かれていることが判明。冤罪は避けられた。
あらためて、責任の所在を解明する作業に入る)
(六年にわたり、その都度、論文の形式で報告している)
他の研究をみると、その作業を怠って発言しているひとが多い