pon地区伝説 阿修羅篇2

pon村は長く平和の内にまどろんでいた。

事件といえば、甚吉物語の題材となった出来事ぐらいである。

その太平の眠りを破ったのが

1936年(昭和11年)のことである。




ところで

pon村の歴史には三人の○田さんが登場する。

甚吉の首を刎ね損なった、強欲な地主。

(仮の名を、奇しくも同じ土地に住み着いている「はな虫」さんとしておこう)

二人目は、桑畑ぐらいしかなかった、灌漑不備のpon村へ水利の道を開いた「○田」氏。

清貧の人である。

(この方の子孫が、pon寺の総代を務めている。この話はいずれ)

三人目は、

樹齢65年の楠に囲まれた学園を営む「○田」氏

(仮の名を「mambo」さんとしておこう)

mamboさんこそ、謎の多いあやしい人で、地下への通路を持つ人なんだが、それはまだ先の話。

実は、この学園は

もと「第十二海軍航空廠」だったのである。

(航空機修理工場ってことね)


これが出来た頃からpon村一帯は修羅の相を帯びてくるんである。