昨日、上の娘は平和授業だった。
原爆文学といえば、原民喜『夏の花』や林京子『祭りの場』が想起される。
原民喜は原子爆弾と題した小説を書いたのであろうが、GHQのプレスコードにかからない
「夏の花」と題したのだそうである。原民喜は被爆により透徹な文体を手にしたが
作家としては無頼で、最後は鉄道自殺した。
ebaponにとって、原爆文学といえば
大田洋子の『屍の街』『人間襤褸』。
彼女は1945年にこの作品を発表している。
もちろん、GHQの検閲により大幅に削除されながら。
(日本人が自ら被爆国であると広く認識するようになったのは
学生の頃、近所の古書店で、彼女の全集を購入した。
日頃むっつり黙って一言もしゃべったことがない店主が
「こういう大事な本を出版する出版社はえらい」
と三一書房をほめていたのが印象的である。
評論家の寺田透が大田にあったとき、「あなたは何故原爆文学を書き続けるのか」
尋ねたそうである。大田は「違うモチーフで書き始めても最後は原爆のことになってしまう」
と答えた。その時、寺田の背中には冷たい汗が流れたという。