カリラにて1



善き人のためのソナタ」を見ていたら、

アイラ海峡“カリラ”でジュラ島を眺めていたことを突然思い出した。

(グッバイレーニンでの“シュタージ”では想起されなかった)

この映画、原題(Das Leben der Anderen)を尊重し「他人の人生」と邦題を付ければよいのになぁとも思う。

予定調和的な邦題は、先年亡くなった主人公役のウルリッヒ・ミューエの名演が生かされないような気がする。



ベートヴェンのピアノソナタ第23番「熱情」を聴き涙を流すシュタージの局員ヴィースラー大尉

最初、この映画はトルストイのクロイツェル・ソナタから思いつかれた作品と思っていたけれど、

調べてみたら、レーニンが革命を遂行するためあえてこの曲を聴かなかったエピソードに由来しているという。

劇中の台詞にもこの曲を聴いたら「悪人になれない」と出てくるし、邦題や書名にも「善き人のためのソナタ」とある。


「善き人になるためのソナタ?」


実際、レーニンは熱情ソナタを聴いたら、ロマノフ王家一族の皆殺しはできなかったのか?



ところで、盗聴のヘッドフォン越しで、演奏を聴いて感動するのは難しい気がしませんか。


さて、ヘッドフォンのダイナミック型を開発したのはドイツ人のbeyerさんだった。

(シュタージはbeyerdynamicの製品を使っていたのだろうか?それともゼンハイザーかな?)


もし、ヴィースラー大尉がオーディオマニアだったら、熱情を聴いて

あ、このヘッドフォン音が良い、ってなって、物語が違った展開になる。


結びのシーンも、ベルリンの壁崩壊後、家電屋でスタックスのコンデンサ型ヘッドフォンを見つけて購入とかなったりして。

(↑ばか)