カリラにて2

ebaponが一度は行ってみたいところのひとつ

ジュラ島

アイラ海峡を意味するカリラにたったのは何年前のことであったろう。

連れ合いは、ロンドンで食べた牡蠣にあたったのか

前日、アイラの茶褐色の水道水が悪さしたのか

腹痛をおこしていた。

カリラの売店で胃薬を買い、波打つ波止場から、ぼーっとジュラ島の乳房を思わす

(ツイン・ピークス、ジュラはみっつだっけ)山を眺めていた。

フェリーに乗れば、すぐジュラ島に渡ることができる。

1948年、結核を患っていたジョージ・オーエルはこのジュラ島で、

療養を兼ねて、ディストピア小説『1984年』を書き上げた。

ジュラ島の湿気た気候は、結核の症状を悪化させ、翌年、彼は46歳の若さで亡くなる。


ebaponは彼が過ごした別荘を一度見てみたかった。


1984年は、執筆年の1948年のアナグラム

件の『善き人のためのソナタ』はこの小説へのオマージュか1984年の東独における全体主義を描いていた。



ebaponがオーウェルのこの小説を読了したのは昭和56年

爾来四半世紀、全体主義について研究してきた。

カリラにたった時点、ebaponは全体主義に対して対峙する思想をたたき上げていなかった。オーウェルのゆかりの地にたって何ら応答する術がなかった。

フェリーで渡ることを断念し、もう一度、はっきり答えが出たら報告に再びくるとその時誓った。