佐志生海岸


関ヶ原の合戦の前夜、イギリス人の船乗りウィリアム・アダムズ等をのせた

リーフデ号はこの海岸に漂着した。

旧教側のイエズス会は、直ちに処刑することを求めたが、家康が気に入り難を逃れた。

後の三浦按針である。


ponの所属する研究室主宰の講演会場となったのは

海岸近くの百万回回春寺(あれ、回数が増えたな)さま。

鬼軍曹の講義は粛々と進められていく。


質疑の時、贅沢微糖さんが挙手する。

バトルは厳かに切り開かれていく。