再訳 朝鮮詩集 2


沢知恵さんの「こころ」が収録されている、ライブ・アット・ラカーニャ 秋)

ponが「こころ」をはじめて聞いたのは、すでに紹介したアン・サリーのアルバム。

その時の感想は


「何という清冽な調べだったろう。わたしの奥深い目覚めはしきりと目をしばたいて、

旋律がゆきわたらせる澄んだ言葉の響きにうち震えたのだ」


と記した

金時鐘のそれと近いようでいて

その実、遠く及ばない。

「わたしの奥深い目覚め」はもたらされるものではなかったからである。


金時鐘が金東鳴の詩と出会ったのは、皇国少年であった少年時代である

日本の敗戦によってもたらされた解放の時

「日本の歌しか持たなかった耳にはじめて届いた」母国の歌曲としてである。


「わけても金東振の曲によって歌となっている金東鳴の詩「ネマウム(わが心)」は、思春期のさ中にいた多感な私を捉えて放さなかった」


金時鐘は、金素雲の孫の手によってあらたな歌曲として新生した「ネマウム(こころ)」を前にして

あえて、再訳しなかったのだろうか。


金時鐘は「ネマウム」をそのエッセイの中で少しだけ訳している。


「わたしの心は湖です

 櫓をこいでおいでなさい

 わたしはあなたの白い影をかきいだき

 玉のごとあなたの舳先に砕け散りましょう・・・・」


金時鐘『「在日」のはざまで』
第一章「日本語を生きて」
歌い継ぐ歌のかなしさ―韓国歌曲の夕べに寄せて(立風書房