言及している。
人間的主体を吸収してしまう観念論やヘーゲルの〈存在〉に
理解を示しながら、一つの疑義を呈する。
「つねに勝ち誇った真理を拒む主体性への回帰(中略)は
私たちを別の暴力へと導くのではないか。」
また、
「キルケゴールにあっては、美的段階を超克した実存が
倫理的段階とみなされていたものにとどまることができず、
宗教的段階に、信仰の領域に入り込むまさにそのとき、
暴力が生じる」
(以上 『固有名』所収「キルケゴール 実存と倫理」
(みすず書房)から)
「呪われるべき存在」ebaponの出現である
にこやかに談笑するキェルケゴリアン釈先生と
レヴィナシアン内田先生。
その狭間の深淵にもがき苦しむ「カンダタ」ebaponに
(お写真は ダイヤモンド社×仏教総合研究所 編
季刊2007・冬『ジッポウ4』より)