レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」5


 レヴィナスは作家論集『固有名』のなかでキェルケゴール

 言及している。

 人間的主体を吸収してしまう観念論やヘーゲルの〈存在〉に

 抗するキェルケゴールの実存の観念に、レヴィナスは深い

 理解を示しながら、一つの疑義を呈する。



 「つねに勝ち誇った真理を拒む主体性への回帰(中略)は

 私たちを別の暴力へと導くのではないか。」

 
 また、


 「キルケゴールにあっては、美的段階を超克した実存が

 倫理的段階とみなされていたものにとどまることができず、

 宗教的段階に、信仰の領域に入り込むまさにそのとき、

 暴力が生じる」


 (以上 『固有名』所収「キルケゴール 実存と倫理」
                 (みすず書房)から)




 「呪われるべき存在」ebaponの出現である



 


 
 にこやかに談笑するキェルケゴリアン釈先生と

          レヴィナシアン内田先生。



 

 その狭間の深淵にもがき苦しむ「カンダタ」ebaponに

 
 釈徹宗尊師は蜘蛛の糸を垂れる。




 (お写真は ダイヤモンド社×仏教総合研究所 編
         季刊2007・冬『ジッポウ4』より)