宗教哲学
ということで、時空を超えて死国へ向かいます目指すはここしかし、ここだけは行きたくなかった
デコイ役はインテグリティな奴で、ponはそれをたたけば良いと思っていた。あまりにおろかですponの裏をかいた存在も世評は「真実一路」 違うんだよね〜と思っていたのにだまされたまさかこの時点ででてくるわけないと高をくくっていた ponの完敗
Black duck decoy by Cigar Daisey デコイがデコイとわからず飛びつこうとしたpon瞬殺寸前で気づき一命を取り留めたで、背後にうごめく存在がちらりと目に入る「なぜ彼がここにいるのか」
難問というかアポリア「問題解決能力の欠如」に陥っているpon原理的な問題は、龍樹までたどれるが問題は世親所在はわかるがaporia(涙 うーーん世親がいっていることと経典がいっていること親鸞がいっていることうーーん(一休さん状態)
ある方のブログを見て、はっとすることがあった。大経の本願文には衣服随念(第三十八)の願(設我得佛・國中人天・欲得衣服・随念即至・如佛所讃・應法妙服自然在身・若有裁縫・擣染浣濯者・不取正覺)というのがあって、ponはずっと、娑婆では衣食住を貪求…
世親教学の権威、小谷信千代さんの「親鸞論」とてもすぐれた論攷だけれどおおきな見落としがある誰か指摘しているか、確かめる時間が無いのでなんともいえないがもしそのことに得心がいくことがあれば「親鸞は『現世往生』をといたか」ではなく「親鸞はなぜ…
経量部の思想は、法然や親鸞を考える上でとても重要なヒントが示されているのだがまとまった論考である書籍が「清水本」古書価が6桁で、とても手が出ない地方の大学や、図書館にもないとあきらめていたら、だいぶ古書価が落ち着いてきたで、ぽちりで、ちょ…
小池さんならしっているって証拠が無いじゃあ
ラスボス入場テーマ曲Qちゃんはあっちに逝ってしまっているから秋川はいらないな(笑
西日本豪雨で開店休業中の「安芸門徒に告ぐ」で、今回は「中邑真輔」!どこにけんかうってんかぁ〜ってちょっとマニアックかな(笑
ぎりぎり善導の時代に成立した可能性があるって研究が見つかったぞ!やったー って善導の文章、その証拠になるぞ(笑
そ、それでも地球は回っている「って、酔っ払っているのか!」(開高健説)
「灰色の脳細胞」の束がアルコホルにより寸断されながらも国学の「知のアルケオロジー」の迷路を彷徨い続けるponひとつひとつの言表を丹念に拾い集めなければならないのに拾った先から忘れていく悲しさ とにもかくにも問題は「仁齋/徂徠・宣長問題」の「/…
夢で玉子王子に遇いました棚上げしていた「宣長問題」に取り組めと言うメッセージなのでしょうか
「不思議ちゃん」問題は、ECHO所長に任せていたけれどそろそろponも本腰を入れて取り組まなくてはならない。この問題を棚上げすると、ponの宗教哲学の結論部分を先送りすることになるし本格的に論じると、窮地にたたされる(笑 いきなり曽我量深ってことで、…
明恵もそうだと言ったらそうなんだけれど貞子も慶子も結局「不思議」ちゃんなんだよねぇ〜最初、ECHO所長から「不思議」ちゃんの話を聞いた時はピンとこなかったんだけれど、貞子慶子(貞慶のことね)がなぜ「不思議」ちゃんに帰依したのか調べていったら、…
ponの専攻関連の学会誌は沢山あるけれどこの「現代と親鸞」ってのはずいぶん期待を寄せている。(発行 親鸞仏教センター)センターからも時々電話がかかってくるくらい愛読しているのである。「あのponさん、はやく年会費納めて下さい」・・・・・・んで、真…
いよいよponの宗教哲学最終章が「真宗と愛」と題して始まります。(来春そうそう研究発表があります)ライフワーク「真宗と他者」の結論部にも相当します。原坦山 (1819−1892) 『大乗起信論両訳勝義講義』すべては担山が明治十一年、東京帝国大学において…
へっぽこ研究所のECHOさんが、老体にむち打って如来蔵思想、天台本覚思想にドンキホーテよろしく立ち向かってくれた。(サンチョパンサ役が「う」さんなんで百人力だったけれど)風車に突進して力尽きたのか最近は貞慶さんって昔一戦を交わした旧敵と旧交を…
ponの宗教哲学上、ヴァスバンドゥ(世親・天親菩薩)の思想を位置づけるのはとても厄介であった。特に、三性説の位置づけがとても難しく、ponはどちらかというと如来蔵思想として捉えていたけれど最近、やはり正統な唯識説とみていく方がいいのかなぁと考え…
(写真はwikiより)京都「鈴虫の寺」こと華厳寺ここには、江戸中期、華厳宗の学匠「鳳潭上人」の座像がまつられている。真宗において「鳳潭」の名はあまり声だかには語られることはない。どこかで、そっと囁かれる程度である。親鸞や真宗を誹謗した人として…
ponが瞠目した俊英、大竹晋(サマーズじゃないよ)竹村牧男の門下生である。ブログの最初のほうで、一度触れているがponの宗教哲学にとって、資するところ多大な研究を著し続けている。30代半ばにして新国訳の訳注をまかされており(インド撰述部 釈経論部…
『原始仏教における念仏思想の源流』Buddhistyosshinさんの講義である。「反復した念こそ随念である」 「繰り返した念が随念であり、念と意味の相違はない」ブッダゴーサの『清浄道論』(および復注)の言葉を劈頭におく。(たぶん、研究員の中で、この注釈…
3.11以降の親鸞を語る上においてついにデリダが参照された。 これは一つの事件である。 藤場俊基氏においてである。 デリダ批判のponとしては とても重大な事件であった。 高橋哲哉氏ともコンタクトされたという。 今後の展開が楽しみである。
バガボンド、リアルを連載中の漫画家井上雄彦が、親鸞の屏風絵を描き終えたという六曲一双の大作である。完成したのは、奇しくも3月10日 罹災は免れ、現在、東本願寺(真宗本廟・大寝殿)で一般公開されている。 ponも近々観に行くのだがはたして、そこに…
準備不足のままのぞんだ鬼神論講義なんだけれど一番の痛手は宋代仏教についての不勉強親鸞の思想に大きな影響を与えた宋代仏教禅・律・浄土についてponの知識は高校生の域を出ないしくしく宋代天台浄土教に関しては福島光哉先生が宗門におられてponは良く講…
ponはあまり学会誌は読まない現在の動向ってのに興味がないからである。そんな中で現在も購読を続けているのに「駒澤大学 仏教学部論集」がある。 この学術誌に注目しはじめた切っ掛けは袴谷憲昭・松本史朗両氏の存在だった。 「批判仏教」の論客である。pon…
(叢書『世界像の形成』所収の松本史朗「仏教の批判的考察」は 大蔵出版の『仏教思想論(上)』に収録されていました。)「超越的な「他者」がなければ(註63)、人はすぐに自己という基体を肯定する内在主義に落ちていくのである。」ponも松本さんの主張を…
では、どうして佐々木閑さんは「生かされている私」という標語が「諸刃の剣」というのか? 「生かされている」という受け身形は、我が身の無力を悟り、謙虚になるためにはよい形かも知れないが場合によっては、人の意志を無力化し、コントロールする洗脳標語…