(写真はwikiより)
京都「鈴虫の寺」こと華厳寺
ここには、江戸中期、華厳宗の学匠「鳳潭上人」の座像がまつられている。
真宗において「鳳潭」の名はあまり声だかには語られることはない。
どこかで、そっと囁かれる程度である。
(本願寺第三代(四代かな?)能化となった法霖の駁論で完膚無きまで破邪顕正されたとされる)
今、鳳潭1659−1738の問いが蘇ったのである。
是以虜僧玄簡大士、産踞于魏、未遇唐翻之墳典、故雖先註解天親『往生論』、而未曾知世親宗依『深密』『瑜伽』、詮入三地菩薩往生報土凡夫二乗三賢異生菩薩不能生、而口宣帰命本願力往生安楽国、尅而究之、其身終有昇生覩率氏尊所期竜華会、皆是自力難行道聖道門、而於註解論。歩船於自他力難易道、皆非天親師原意者、嗟是豈非不遇嘉之大謬僻何耶
(鳳潭『念仏往生明導剳』巻下 日仏全九八・四五0上)
※現代語訳は、新国訳の大竹さんの解説を見てね。
大竹晋が引用した鳳潭の曇鸞にたいする批判の文章は、じつは現代の仏教学においては至極真っ当な問である。
また、多くの近現代仏教者が反論しようと試みながら、それに成功したモノはひとりもいない。
真宗学において、この問に答えているのは、畏友藤場俊基しかponは知らない。
(おそらく藤場氏は、鳳潭のこの問を念頭に置いて真宗を語ってはいないと思うが)
もちろん、親鸞聖人もこの問に先験的に答えていることはいうまでもないことである。
ponの宗教哲学は、いったん鳳潭の批判を正当なモノと受け止めながらも
そこには「他者」に対する視点の欠落があり
その問題を自覚的に乗り越えたのが親鸞の営為であり
藤場氏のそれであると受け止めなおす試みでもある。
(もちろん唯識にもその萌芽はある)