では、どうして佐々木閑さんは
「生かされている私」という標語が「諸刃の剣」というのか?
「生かされている」という受け身形は、我が身の無力を悟り、
謙虚になるためにはよい形かも知れないが
場合によっては、
人の意志を無力化し、コントロールする洗脳標語として、凶器になる。
標語は便利な道具だが、あくまで簡略形だ。
必ず、その奥にある本当の意味を追い求めなければならない。
「生かされている私」という標語を使うのはちっともかまわないが、
その時には、「私を生かしているのは何か」を理解して、
それを人に説明する義務がある。
説明できないのに「ただなんとなく、宗教的雰囲気があって便利だから」
といったいい加減な気持ちで使うなら、ひどい欺瞞だ。
宗教者の言葉には、常に重大な責任が付随していると言うことを
忘れないでもらいたい。
(以上筑摩新書より抜粋)
ところで、あなたは
「今、いのちがあなたを生きている」がわかりますか?
と問う海野孝憲さん
「最後に私は、テーマを次のように言葉を補足すれば、意味はかなり明確になるのではないかと確信」
しているという。
「今、み光があなたと共に生き、あなたは生かされている」