宗教哲学からみたヴァスバンドゥ

ponの宗教哲学上、ヴァスバンドゥ(世親・天親菩薩)の思想を位置づけるのはとても厄介であった。

特に、三性説の位置づけがとても難しく、ponはどちらかというと如来蔵思想として捉えていたけれど

最近、やはり正統な唯識説とみていく方がいいのかなぁと考えるようになった。

そうすると、初期、中期の唯識思想が俯瞰しやすくなる。


見通しが良くなるのは良いことなんだが、

ponの好きな、無相唯識派っていうのは世親も含んでponの宗教哲学上、批判対照になってしまう。

(まあ、好き嫌いの問題じゃないからね。ここはがまん、がまん)

成唯識論」とか、有相唯識派を文字通り「正義」とし、このへんをドイツ観念論とすりあわせて考察していく

地味〜な作業が続いて、そのながいトンネルを抜けると、


フッサールレヴィナスさんが見えてくるのだ!



(なくなった哲学者「たまご王子」さんは、如来蔵思想(大乗起信論)に注目していた。

ponはそのころから「三性説」で躓いており、王子に哲学的助言を求めていた。

やっと答えを王子にしめすことができるかもしれない。)