レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」7


最初、かえるくんに連れ出されたがまがえるくんは春の光に耐えられなかった。

でも、五月の陽光はがまくんをあたたかく迎えた。


 
地下室の住人、独学者で「呪われるべき存在」ebaponも、

かえるくんに誘われて、黄砂の煙る青空の下に出る。


ただ、「体内の水分の65%を凍らせ」たままでいる。


X-メンのストームのように


”北極の冷たい風よ敵を吹き飛ばせ”



 こんなんで、

 独学者ebaponは
 
 他者にあえるのだろうか




 レヴィナスソクラテス批判、「独学者」批判に対して、

 加藤典洋さんは次のように応答している。


 (レヴィナスに批判されているフッサールが述べているように、)

 われわれは他人が自分と同じように感じるであろうことを足場に

 「他人(他我)」というものも、そして間主観性というものをも、

 成立させている。

 フッサールがいっているのは、自分とほかの人間が同じように

 最低知覚を成立させているはずだ、という類同性の確信であって

 それは「同一性」であるといえばそうともいえるが、

 これがあるから、人はいわゆる人たり得ている、という

 最低線の「同一性」である。

  (加藤典洋『僕が批評家になったわけ』岩波書店より)



 (写真は、フッサールの文庫本。『デカルト省察』は浜渦辰二さん訳

  浜渦さんの著書は絶版になってしまっています。是非再版を!!)