ebaponの宗教哲学の中で、キーパーソンとなるのが僧肇である。
その中核思想は肇論(物不遷論・不真空論・般若無知論・涅槃無名論ほか)で知ることができる。
別にebaponが重視しているのは、『注維摩詰経』である。
(写真は 大正大学綜合仏教研究所注維摩詰経研究会 編著『対訳 注維摩詰経』山喜房仏書林)
合注されているのは、翻訳者羅什を始め弟子の僧肇、道生(と道融)。
(僧肇の単注本はトルファンで発見されたそうである)
ところで、従来、維摩経は漢訳3本、チベット訳のみ現存し、サンスクリット原本は断片のみ存在するといわれてきたが、1999年、大正大学のチームによってラサのポタラ宮にあるダライ ・ラマの経蔵で原本(梵本写本)が発見されたのである。
(本来ならダライ・ラマの所有物なのですこし複雑な思いがある)
(パーム椰子の葉に書かれた経文)
この梵本写本を元にチベット訳が生まれたのだろうが、これで梵・蔵・漢の三本の比較ができるようになった。
同大学が刊行している『梵蔵漢対照維摩経』もあるけれど、ebaponはチベット訳は読めない
(しくしく)
でも、われらがサボサボ君が輪読会に参加してくれたのだ
(フフフ)
彼は、チベット語も、サンスクリット語もパーリも難なく読めるのだ。
もうひとつ問題。
ebaponは老荘玄学に暗い。
僧肇は羅什門下になる前に、維摩経を老荘思想から読みこなしていた。
羅什と出会い、中観(空の思想)にふれ、仏門に帰依した。
門下で「解空第一」とまでいわれた。
羅什の翻訳場でも力を発揮した。文殊と維摩居士の問答も老荘的色彩が強いのは僧肇の影響と考えられている。
で、どうしたものか、老荘思想。どっかで勉強できるところはないだろうか。
おっ、目と鼻の先にあった。
話は飛ぶようだけれど、囲碁と老荘思想の結びつきは強いそうだ。
(そういえば、格義仏教とは一線を画する道元も囲碁に関する問答をどこかで引用していたな。)
よし、門を叩くか。