昔、独りの人有りて雪山(せっせん)に住みき。
名付けて雪山童子と云ふ。
薬を食い菓子(このみ)を取りて、心を閑にし道を行ふ。
(略)
其の時に、仏、世にい坐(ま)さざりしかば、
雪山童子普く大乗経を求むるに、能はず。
「諸行無常、是生滅法」
と云ふ音(こえ)、風(ほのか)に聞こゆ。
驚きて見れば、人もなし。
(文章 『三宝絵』東洋文庫513より 写真は石田尚豊『聖徳太子と玉虫厨子』より 既出)
羅刹近くに立てり。
其の形猛く恐ろしくして、頭の髪は焔の如く、口の歯は剣の如し。
目を瞋らかして普く四方を見廻らす。
これを見れども驚かずして、偏へに、聞きつる事にみ悦ぎ奇しぶ事、
たとえば、年経て母を別れたる小牛の風に母の音を聞くならむが如し。
(同上)
羅刹vs雪山童子
しかし、羅刹は操られた存在
操っていたのは、
あたかもピノキオを操るゼペット爺さんのように。
しかし、
ウランはすでに気づいていた。
袴谷憲昭先生も気づいていた
帝釈天もまた、
操られている存在であることを。
(後ろの正面だあれ篇につづく)