みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです
マタイ伝26・26〜28
ponがペトロ岐部の存在を強く認識したのは、遠藤周作の『銃と十字架』からである。
同郷にして、強靱な信仰を貫き殉教したキリスト者。
バテレン追放令を機に国外へ。独力でエルサレムの地を日本人として初めて踏む。(※バテレン追放令は1587年でした。国外追放されたのは1614年の禁教令)
所属していた教会組織からは、「相手にするな(司祭として不適任)」との達しが伝わっていたにもかかわらず
人格・素養・学識、なにもりもずば抜けた信仰心から司祭となった。
国外追放から16年後、弾圧下の日本に再び戻り、伝道。
密告から逮捕、棄教したフェレイラに遇い、逆にキリスト者に戻ることを勧める。
拷問で逆さ吊りにあっても、仲間の信者を励ますことから
打ち首。
52歳の時であった。
その首から吹き出たのは、
「契約の血」
ponの秘蔵のワイン。
「ペトロ岐部と187人殉教者」列福記念を祝いペトロ岐部が所属したイエズス会のセブンヒル修道院(オーストラリア最古の修道院)の協力で造られたワインである。
はたして、ponにこのワインを飲む資格があるのか。
罪深きponだからこそ飲めるのか。
自問するebapon
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白なら飲んでいいかな?
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※「ペトロ岐部と187人殉教者」
昨年11月24日、長崎市でローマ法王庁が主催する「列福式」が開かれた。
江戸期に弾圧を受け殉教したキリシタン188人が、「聖者」につぐ尊崇の対象「福者」として列されたのである。
188名に中には、大分生まれのペトロ岐部や天正遣欧使節団の一人であった中浦ジュリアンの名が見えるが、ほとんどは最後まで信仰をかたく守った一般信者(女性や子供を多数含む)である。
(それまで日本には42名の「聖者」、205名の「福者」が列せられている)
1981年、ヨハネ・パウロ2世が来日したことを機縁に、国内の殉教者を顕彰しようとする機運が高まった。以来四半世紀に及ぶ調査が行われ、約5万人(※2万人の間違いでした)におよぶ殉教者を調べ上げた。スペイン語でつづられた申請書は2700ページにのぼる。
ponの所属する研究所で本日
日本人殉教者188人の「列福」を実現させた司教、溝辺脩先生をお招きし
テーマ 殉教者列福の今日的意義と題し、講演会を行う。