白骨の御文考2

第二 肪脹の相

死して七日を経過すると、身体が異様に肪脹(膨張)する。かつての花顔は暗く、変わり果てて花麗を失う。髪は乱れて草の根にまとわる。肉体は腫(ふく)れ上がり、五臓六腑は腐って、棺の中からはみ出してしまう、と詩の中では詠まれている。四肢は硬直して、原野に横たわる。(既出)


蓮如上人「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」


「・・・されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。・・・」


無常と云うことを直截に語る蓮如

プロセスを捨象し、裁断された前後を短絡させ、その相を露出させつきつける蓮如

ほんの少しだけ違和感を覚える。


元となった「存覚法語」の文章

究竟不浄といふは、

 ふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、日かずをふるままにそのいろを変じ、次第にあひかはるに九相あり。
 しかれども、すなはち野外にをくりてよはのけぶりとなしはてぬるには、九相の転移をみず、ただ白骨の相をのみみれば、たしかにそのありさまをみぬによりて、をろかなるこころにおどろかぬなるべし。
 たまたま、郊原、徐ュ間をすぐるに、おのずからその相をみるときは、一念なれども、しのびがたきものなり。紅顔そらに変じて桃李のよそほひをうしなひぬれば、たちまちに
肪脹爛壊のすがたとなり・・・・(存覚法語 p363真宗聖教全書3)


「肪脹爛壊のすがたとなり」と書きかけたところで

骨壺を持った女性が門を叩く

弟からメールが来なくなり、母親の法事にも顔を出さなかった
不審に思いアパートに行くとすでに亡くなっていた。
検死によると三日前自死したと推測されるとのこと。

この暑熱で腐乱の進行が早かったらしい。

荼毘に付してから、寺の門を叩いたとのこと。


あらまし事情を聴いてから


還骨勤行をつとめる


読経中緊張の糸が切れたのか涙を流されていた。


蓮如が捨象した九相

いましばらく考えを進める。

(つづく)