レヴィナシアンあるいは「呪われるべき存在」13




「悲劇の英雄」アガメムノンのマスク
    (Wikipediaより)


「悲劇的英雄になら、人間は自力でなれる、

しかし信仰の騎士には[自力では]なれないのである。


   (キェルケゴール『おそれとおののき』 著作集5)



 今村仁司は、この文を引き、次のように述べる


「英雄と信仰人との差異は、この自力と他力の差異にある。

キルケゴールには「他力」という用語はないが、

 それは「神」、「無限」の用語で表現されている。)

      (『清沢満之と哲学』)



さて、アブラハムの物語に戻ると、旧約聖書の記述では、
イサクは殺されずに生きて帰る。それは神がアブラハム
金剛信心を愛でてイサクを殺そうとするアブラハム
「殺人者の手」を押しとどめたとなっている。(同)





 おお、アグリアスオークス


 「今更疑うものか! 私はお前を信じる!」


 まさに「金剛の信心」の人の言葉


 (写真は普段着のアグリアスオークス



 しかし彼女は「ホーリーナイト」
 としてハイブリット化する
 


 キェルケゴールの自力と他力によって。
 


 あたかも、デリダキェルケゴールに「潜在的可能性」
 
 を見いだしたかのように。




 親鸞は善導の言う「金剛の信心」をハイブリット化

 しています。



 その点は、畏友 藤場俊基の本(明石書店)を参照してください。