「悲劇の英雄」アガメムノンのマスク
(Wikipediaより)
「悲劇的英雄になら、人間は自力でなれる、
しかし信仰の騎士には[自力では]なれないのである。
(キェルケゴール『おそれとおののき』 著作集5)
今村仁司は、この文を引き、次のように述べる
「英雄と信仰人との差異は、この自力と他力の差異にある。
(キルケゴールには「他力」という用語はないが、
それは「神」、「無限」の用語で表現されている。)
(『清沢満之と哲学』)
さて、アブラハムの物語に戻ると、旧約聖書の記述では、
イサクは殺されずに生きて帰る。それは神がアブラハムの
金剛信心を愛でてイサクを殺そうとするアブラハムの
「殺人者の手」を押しとどめたとなっている。(同)
「今更疑うものか! 私はお前を信じる!」
まさに「金剛の信心」の人の言葉
しかし彼女は「ホーリーナイト」
としてハイブリット化する
キェルケゴールの自力と他力によって。
あたかも、デリダがキェルケゴールに「潜在的可能性」
を見いだしたかのように。
親鸞は善導の言う「金剛の信心」をハイブリット化
しています。
その点は、畏友 藤場俊基の本(明石書店)を参照してください。