ebapon、「きたなまろ」になる2

最近、ebaponが常識だと思いこんでいたことが、覆されることが多くなった。

もちろん、ただ勉強不足なだけだろう。

世間では知られていることかもしれない。


(写真は、奥富敬之『名字の歴史学角川選書

ebaponは教科書通り

「江戸時代の庶民は、苗字・帯刀が禁じられていた」

と思いこんでいた。

ところが、すでにこの通説に対し、昭和27(1952)年5月

洞富雄早稲田大学教授が

「江戸時代の庶民も苗字を持っていた。しかし名乗ることはしなかったのだ」

と主張している。

写真の本はその主張を更に歴史的に遡り検証するものである。



さて、この本の中に

「制裁措置としての改姓」という段がある。

「改姓」 犯罪者に対する制裁措置の一種ともなる

 奪 姓 姓を奪う
 除 籍 籍を除く
 除 名 名を除く
 貶 姓 姓を貶す
 賜醜姓 醜い姓を賜う
 改 名 実名をかえる

「きたなまろ」も

 和気清麻呂 → 別部穢麻呂

 「和気」姓を「別部」姓に「貶姓」
 「清麻呂」という実名を「穢麻呂」と「改名」

 連座した、姉の尼法均

 還俗させられ、実名の「広虫 ひろむし」を、「狭虫 さむし」に「改名」されている。


(写真は、井上円稿「名之字」考 新潟親鸞学会紀要第4集所収 抜刷)


 ところで話は、親鸞聖人の流罪である。

歎異抄奥書にある流罪記録には


 (法然)罪名藤井元彦男云々、生年七十六歳なり

  親鸞は越後の国
     罪名藤井善信云々、生年三十五歳


 法然親鸞ともに罪名「藤井」姓を賜っている。

 これは、前例がある、と井上円師は『名字の歴史学』を参照し、論述していく。


「僧尼の場合には、尼法均が還俗させられているように、「貶姓」する前に還俗させることになっていたらしい。源平合戦がはじまる直前の治承元年(1177)五月、後白河法皇の忌諱に触れた天台座主の明雲僧正もやはり還俗させられた上で、「藤井松枝」と「改姓」と「改名」とが同時に行われ、伊豆国静岡県流罪になっている」(奥富)

 ※「明雲」という気高い名から、手の届く「松枝」へ


問題は、元彦・善信である。

(つづく)