イサク奉献 後日談


 さすがにどっと疲れました。

 いつもは参加者の少ない学習会ですが、

 「イサク奉献をてがかりに」と題していたので

 牧師さまがずらりと手ぐすね引いて待っていました。




 牧師A「そもそも真宗にもイサク奉献の物語があるのかね」

 ebapon「はっ、はい。妙好人に伊作という人がいてそれは苦労して・・・」


 牧師B「イサクの生け贄は決してデリダのいう、『死を与える』ものではなく

 生を与えるものだ。私たちは、そこに「罪」を感じるのだ」

 ebapon「仰せの通りで」


 牧師C「レヴィナスは神の痕跡を認めておるからユダヤ教徒であろう。

 しからば、デリダと申す輩は、何を信仰しておるのか」

 ebapon「そっ、それは、高橋哲哉先生にお尋ねになってください」

 (私たち宗教者9条の会では、高橋先生に基調講演をいただいております。
  発起人には無着成恭先生、ほかに講演をいただいたのはダグラス・ラミス先生
  ラミスさんはとてもお優しい。マネージャーの奥様は・・・)


 牧師D「ヘブライ語の『ヒネーニ』を正確に訳してみよ。」
 ebapon「ebaponはもう帰りました。ここにはいません」


 
 ぼろぼろになりました。

 でも、レヴィナシアンの端くれ。

 誠心誠意その姿勢を貫く。


 その姿勢といえば、


 ただ、ただ





 相手に「すみません」と言わせたら

 アウトです。





(もっとも「態度が悪い」哲学者

 内田樹が贈る知のエクササイズ)

  角川ONEテーマ21