先日、モノラル試聴会の懇親会席で、SPレコードをこよなく愛されている
老師から、SP盤再生の重要性をご教示いただいた。
ebaponとSP盤の出遇いのことを少しお話しした。
そう、そもそものはじまりは「明治四十三年の転轍(河田宏)」
大逆事件の判決の日でした。(翌年1月18日)
作家の永井荷風は、新橋巴屋の芸者八重次に何度か電話をかけました。
結局、通じずいそいで手紙を認めたそうです。
「度々電話をかけましたがお帰りがないので独りで博物館内の古い錦絵を見歩いて居りますこの暖かさでは江東の梅も間がありますまい近い中亀井戸へ行きませう」
その後、八重次と荷風は結婚、まもなく離婚し、八重次は「藤蔭流」を
興し「藤蔭静枝」を名告ります。
ebaponの母は藤蔭静枝に弟子入りし、「藤蔭静哉」を名告っていました。
自宅には小さな舞台があり、お弟子さんが稽古によくきていました。
ebaponも小さい頃、何か踊った記憶があります。
その関係で舞台には蓄音機があり、レコードがびっしりありました。
姉や従兄弟たちと親の目を盗んで、いろいろレコードをかけて
舞台で音楽に合わせ踊りまくった記憶があります。
SP盤というと、その頃手に取ったずしりと重いシュラック盤の記憶が蘇ります。
少しずつでもSP盤再生の試みを始めたいと思いました。
大逆事件はebaponの研究対象である「近現代史の中の真宗」のうち
とても重要な位置を占めています。
父は母の舞台姿に惚れてプロポーズしたそうで、
ebaponの出生の秘密も遡れば大逆事件にあるのかもしれません。
ちょっと大げさですね。