ネアンデルタール人に花束を

滅んでしまった、もう一つ別の人類ネアンデルタール人

彼らは、仲間を埋葬すること知っていた。

(写真は、Ferrassie skull ラ・フェラシーは1909年、フランスで発見された成人男性の化石。ほかに子供を含む七人が埋葬されていた。)

1960年北イラクのシャニダール洞窟の内部から発見されたネアンデルタール人の化石の胸のあたりには数種類の花粉が見つかった。おそらく死者を悼むために花束がおかれたのではないか、と考えられている。

死の発見である。


ebapon寺で、昨日作られたお華束用の餅。一晩重ね置きされ、厚さをそろえ、今日盛られる。

お華束盛りは総代衆の仕事。

昔は、誰よりもはやく来て、形のいい餅を選び作り上げる総代さんがいた。

今は、横並びで作る。



ところで、報恩講は、約七百五十年前、お亡くなりになった親鸞聖人の葬儀をその祥月命日にシミュレートする儀式。

かつては若い衆が本堂に寝泊まりし、番をしていた。

腹が減ると、お華束の裏から一枚ずつ餅を抜いて、火鉢であぶって食べたそう。


一週間、夜な夜なジェンガのように餅を抜かれながら立ち続けるお華束(けそく)





このお華束は、いわゆる花束。

だから、きれいに彩色される。



ebapon娘も初めて彩色の手伝いをした。

(ebaponは法事で出かけていて、その場面は撮れなかった。しくしく)