玉虫厨子の語りかけるもの1

一昨日の昼、門徒さんが門を叩く。

「娘が、今日明日で・・・」


夕食後も、衣のまま書斎で端座して待つ。

時々、銀座の村松をみる。

まもなく、11時になるか、とつぶやき

しばらくして、もう一度時計をみる。

同じ時刻を示している。

あ、止まったな、っとおもったら枕経の電話。


ご自宅へうかがうと、仏間に娘さんが安置され、その脇に放心したように

子供が二人座っている。小学校5年生の娘さんと中一のお兄ちゃん。

その横にご主人と、ご両親、ご姉妹。

粛々と、読経、法話

如来のお衣を身に着していなければ、この場に座り続けることすらできない。

ただ、弥陀仏の本願を憶念し、お聖教の言葉を反復するだけである。

「家内は10年間、病魔と闘い続け、力尽きました」

ご主人の言葉。

ふと、捨身飼虎図に描かれたサッタ王子のことを思った。

玉虫厨子については昨年、ブログでふれた。

サッタ王子の話も紹介した。

釈尊の本生譚であるこの物語にはしかし、

大きな謎がある。

昨年は、そのことを充分考えることをしていなかった。

ふたたび「自己犠牲的利他行動」について論を進める。

(写真は「石田尚豊『聖徳太子と玉虫厨子 現代に問う飛鳥仏教』(東京美術))


今朝、捨身飼虎図のことを考えていたら、枕経の電話が。

53歳の男性で、朝、トイレで倒れたとのこと。商店主で日頃血圧が高いなぁと話していたけれど至って元気そうだった。

(明日、通夜となりました。ボヤッキーn川君、研修会欠席となります。よろしくお願いします。

 昨秋から、6回研究会があり、そのうち5回葬儀と重なりました。)