犬神人 補遺

(18禁です)

聖人(源空法然)、往生十五年ののち、後堀河の院の御宇、嘉禄三年の夏、

山僧せん議していはく、専修念仏を停廃すべし。

ただし、その根本たるによりて、まづ源空のおほたにの墳墓を破却して、かの死骸をかもがはにながすべしと。云々。

奏聞をふるに勅許あり。(略)


(嘉禄三年)六月十二日に山門の使者おりきたりて、清水坂の乱僧におほせつけて、廟堂をこぼちとるところに、

 (直接手を下す=汚すのは山僧ではなく、当時の被差別階級 乱僧=犬神人)

京師守護修理の亮、平時氏・内藤五郎兵衛の尉盛政法師 法名西仏

をさしつかはし、制止をくはへていはく、

「たとひ勅免ありといふとも、武家にあひふれず、左右なく狼藉をいたす條、

はなはだもて自由なり、すべからくあひしずまりて穏便の沙汰をいたすべし」と。

問答ときをうつすあひた、晩陰にをよびで、山門の使者、さかの乱僧をのをの

かへりをはりぬ。

 (以上 覚如『拾遺古徳伝絵』常福寺本)


(坂の乱僧帰ったって? 殺されてるやん。

射るなら山門の使者やろ)


ちなみに承元の法難の場面。






誅せられるとき種々奇特のことあり。




(合掌)