ひぃ〜さんのウツボ2 6本指の猫をめぐって篇7

ヘミングウエイに代表されるロストジェネレーション世代と、少し遅れてやってきたサリンジャー

その間にはある種の「ひと交わりのし難さ」のような異質なものが後者にあって、意思の疎通を阻害するかのようである。

(そういえば、ヘミングウエイやフィッツジェラルドと同世代のフォークナーもサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を高く評価していた。)

(パリ解放後、サリンジャーと会った頃のヘミングウエイ。見るからにタフである。写真はノルベルト・フェンテス『ヘミングウエイ キューバの日々』より)

第二次大戦に従軍したサリンジャーはその戦闘体験から神経を患う。滞仏中、結婚するも破綻。自閉した自我の殻を表すかのように高い塀に囲まれた自邸で執筆を続けている。


その中で生まれた『ライ麦畑でつかまえて』に代表される小説。背景にはZENの影響があるとも言われている。彼に影響を与えた禅僧としては鈴木大拙の名があげられている。

大拙はponの研究テーマ清沢満之より遅れてきた世代であるが、満之と同じく「自己への内なる沈潜」を出発点として持ちながら、渡米し、大乗仏教としての禅思想を紹介した。
「内なる沈潜」から他者へ向かう思想をどのように大拙は鍛え上げ(大拙はそれを逆対応という他者への関係性のもとに思索している)、それをサリンジャーに伝えたのか。ponはその課題を、サリンジャーの作品(実際に影響を受けた作品はライ麦の十年後に出された『フラニーとゾーイー』(Franny and Zooey, 1961)からといわれている。)そのものの内に問うて行かなくてはならない。

ところで、ponの研究室のテーマとして、その大拙が晩年英訳した親鸞の『教行信証』をふたたび和訳することをあげている。今日は、その研究成果を佐世保で発表する。
発表者は、本来、チーフのボヤッキーn川君だったが、退院して間のないということ

(フィンカ・ビヒア邸の牡猫たちのように奥さんから玉抜きされちまったn川君)

で、研究員のオグさんが代わりに発題することに。

(オグさんは独力ですでに和訳を終えている)


オグさんよろしくお願いします。

では、まもなく佐世保へ出発です。