レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』をチャプターごと
併せて
松原元信の『三冊の「ロング・グッドバイ」を読む』を参照している。
ponは原作と翻訳物はまったく似て非なる作品として捉えているけれど
同じ翻訳物でもここまで違いがあるのか、ちょっと驚いている。
清水訳はかなり訳をはしょっており、その分、テンポよく、小気味よくなっていて
村上訳は、原著の文体に忠実で、わかりにくいところは言葉を補っている分、饒舌ではある。
ponは映画の字幕反対派で、(もちろん、その功績大なることは認めているけれど)
映画人の清水訳は最初から「どうかなぁ」と思っていたところはある。
たとえば、チャプター1の白服のセリフ
原文
I got a philosophy about them things. The way the competition is nowadays a guy has
to save his strength to protect hisself in the clinches.
村上訳
「俺にはね、こういうことについちゃ、ひとつの哲学があるのです。このとおり、弱肉強食の世界だ。
ボクシングで言えば、人はなるたけクリンチで逃げて、いざというときのために力を蓄えておかなくちゃならんてこと」
清水訳
「あたしはこういう奴にはかかりあわない主義にしているんです。油断のならねえ世の中だから、いざというときのため
に力をのこしておかなければなりませんからね」
清水訳は、もってまわった言い回しを排除し、テンポ良く、紋切り型の、白服のいかにもいいそうなセリフに還元している。
村上訳はあとでマーロウからがつんとやられる、白服のこざかしい処世術をうまく訳出していると思う。
「ボクシングで言えば」ってのは余計じゃないかなって気がするけど(笑
このへんのことは映画の字幕では多々あって
セリフのニュアンスにはこだわらず、ストーリー展開を優先するってことはまあ、許容範囲だけれど
小説は、文体の正確な反訳にこそプライオリティがあるんじゃないかなぁ