ebaponのやんごとなき事情

ebaponファミリーが最後の海水浴を楽しんでいるとき

(八月末で、ビーチはプライベート状態)

叔母の訃報が届く。


(今思うと、ミス高島屋だった叔母と、とてもハンサムボーイとはいえなかった

叔父はどんなご縁で一緒になったのだろう?)


9月1日は火葬場が一杯だそうで、葬儀が一日延びた。

何とか、通夜に間に合う。


導師をお勤めになるのは、地元のJ寺さま。

さっそく姉妹と挨拶に行く。


「あいにく住職はやんごとなき事情で不在です。

導師は副住職のわたしが勤めさせていただきます」



実はebapon、J寺住職に会うのをとても楽しみにしていた。



清沢満之「浩々洞」同人に多田鼎がいた。

彼は、法義の薄い千葉に仏教千葉教院を開き、念仏の教えを広めた。

その念仏道場が、昭和47年、寺院化したのがJ寺なのである。


副住職は、とても真面目で一生懸命。安心して葬儀に臨めた。


妹から「ebapon寺の住職のやんごとなき事情をいえば、南の島に遊びに行ってるってことよね」

と皮肉られる。


ところで、多田鼎は清沢満之の禁欲的な実験精神に触れてこう述べている。

「其の思想信念は Maximum Possible 也。其の一身の生活はMinimum Possible 也」

(多田鼎集 第三巻 一道録 同朋舎)



うーーん。とても、導師様にebaponの拙ブログの存在を伝えることはできない。



(火葬場からの帰り道、稲毛駅そばを通過しました。CANDYには行ってみたいなあ。

 でも、RUBYさんはCANDYのこと何か言っていたよなあ、と思いながら結局寄りませんでした。)