「超越的な他者がなければ、人はすぐに自己という基体を肯定する内在主義に落ちていくのである」
「わずかに親鸞のみが、「他者」を立てることによって、厳しい宗教性を獲得しえた」
浄土の教えは「己心の弥陀、唯心の浄土」ではなく、どこまでも心外に、
「西方十万億の仏土をすぎた」浄土に弥陀はおわします。
親鸞にみられる他者論の真骨頂は
その絶対他者としての弥陀にいたる道程に
「十万億仏土」の諸仏=無数の他者との出会いが生まれることにある。
さらに、ponはそこに「他者の顔」への契機を読み取ろうとしている。
もうひとつの径路があるのだ。