青山二郎の話

ebaponがレストア計画中のJBLオリンパスは、1960年に発売されたそうです。
定価は$723(C50S8-2 1964年に075とN7000が追加されましたのでそれ以降の価格かも知れません。)

当時の公務員初任給14200円だそうですから、オリンパスはその20倍の値段になります(約26万円 1ドル360円)

現在でいえばJBLの EVEREST DD66000とほぼ同じ価格といえます。


前オーナーは、HL93は使用せず、蜂の巣+375で鳴らしていたそうですが、ebaponが譲り受けたときには

蜂の巣も375も075もネットワークもありませんでした。残っていたLE15Aとパッシブラジエータですが、ウーファーの片チャンネルは死んでいました。

ご主人不在中、誰が持ち帰ったかは判りません。


最近、あるお医者さんが発売当時買ったJBL C50 S7-2 OlympusとマッキンのMC275を修理しようと、購入した百貨店に問い合わせをしたそうです。

「マッキンはパソコンなので、パソコン売り場にご相談下さい」

と応対されたそうです。


結局、はな虫さんが、修理を請け負うことになりました。

はな虫さんは、現物を見て、お話を聞いた上で、推測したことですが

たぶん、最初は、マッキンC22、MC275のラインアップで鳴らしていたのではないか。

C22が調子が悪くなったときに百貨店の人が、C29と取り替えたのではないか。

もちろん、全くの想像でのお話ですが、


その話を聞いて、ebaponが思い出したのは



青山二郎の話

(写真のカートリッジはkenmihokenmihoさまのブログで話題になった物。現在検証中です)


青山ご夫妻と交流のあった宇野千代さんが纏められた御本です。


(中公文庫、とても面白い内容です)


その中で、青山さんを知っているという骨董屋さんから宇野さんが聞いた話を紹介します。


「田舎の人間が骨董屋に騙されるのは、かう言う手順だよ、と言って、青山さんが私に話してくれたのですが、まづ、最初に骨董屋は品物を五つ持って来て見せる。その五つの品物の中で、本物はふたつ、あとの三つは偽物だが、最初に置いていくときに、本物の二つにはとても安い値をつけ、偽物には高い値をつけて売っておく。二三ヶ月経って、またやってきて、好い買い手がつきましたから、あの中の二つだけ買い戻しに来ました、と言ってね、安い値をつけて売っておいた本物の方を、売り渡したときの値の二倍くらいの値で、引き取って行くのだよ。そして、その帰り際に、残りの偽物の三つをさして、これも買い手がついたら、また買い戻しに来ますが、しかし、これはめったに出ない逸品ですから、お手はなしにならないで、大事にしまつてお置きになることですよ。そう言って帰って行くのだよ。これで、偽物の方だけが、だんだん集まっていくという寸法が分かるだろう、と言ふことでした。」