市井に生きる名も無きレビナシアンたち。ebaponもその端くれの一人である。
近所のたばこ屋の店主がレビナシアンであってもけっして驚かない。
でも、その人が原書で読んでいたらebaponはちょっと動揺する。
ebaponはフランス語が苦手なのである。
シクシク
ところで、ebaponが影響を受けた評論家の一人に仏文学者の寺田透がいる。
「ドストエフスキーの読み直しは、小説は小説として読まねばならないといふ考へで始まつた」
(寺田透『ドストエフスキーを読む』筑摩書房)
寺田透は、ロシア(旧ソビエト)に行ったとき、たまたま乗ったタクシー運転手に、ドストエフスキーの小説は何が好きか、と尋ねたそうである。運転手はすかさず頭を指で指し「白痴」と答えた。
また、ロシア人は、「罪と罰」を読んで笑うことを知る。
「ロシア人のやうに愉しみ」ドストエフスキーを読むべく、寺田は、一からロシア語を学び、ソヴェト・ナウカ版全集を読み抜き、読後評論を続けた。
そろそろebaponもフランス人のようにレビナスをよむ時が来たのかもしれない。
フランス人といえば、フランス映画。
百本観てから、レビナスを読んだらなにかが見えるかもしれない。
そんな安直な思いから、無謀な試みを始めた。
ところで、ebaponは映画を観るとき、日本語字幕を利用しない。
(別段、語学に堪能なワケではない。)
やはり文法が違うのである。
で、英語字幕(字幕がないときがある)で洋画を百本ほど見続け、言語を反訳しないで映画を観ることを身につけることができた。
問題はフランス映画。
原語字幕がないのが、多いんですよ〜
今日観たルコントの『橋の上の娘』も字幕なし。ストーリーが面白くて楽しめたけれど、会話の内容がほとんどわから
なかった。
前途多難。
最初の一本が『勝手にしやがれ』で
原題はA BOUT DE SOUFFLE(息切れして、力尽きて) だもんね。
ふう。