親鸞聖人七百回御遠忌2

先日紹介したソノシート

親鸞讃仰」には1961年4月20日、

京都岡崎の京都会館で開かれた御遠忌記念講演会の模様が

録音がされている。

(その筆録は『親鸞の世界』に記されている)

注意されるのは、その講演が収録されている

LP、第五部講演伝道編のナレーションである。

この部分に注目し、目睫と迫った750回御遠忌に対する

宗門、宗門人の現況に問題を投げかけたのが

先日お世話になった藤場俊基先生

講義でもその部分を皆で聞いた。

「講演ならびに布教・伝道については、まず4月21日午後六時から九時まで、京
都会館第一ホールにおいて、金子大榮・曾我量深・鈴木大拙三師による大遠忌記念講
演会が開かれました。
  三師は共に我が大谷派における教学の最高峰であり、今回の大遠忌を記念して、
四月二十日法主台下より、教学特別功労者として表彰を受けられました。
  金子師は明治十四年生まれ八十歳、曽我師は明治八年生まれ八十七歳、鈴木師は
明治三年生まれ九十一歳の高齢で、しかもなお大学の講義、各地の講演あるいは著述
など、矍鑠として第一線の活躍を続けておられます。
  記念講演会の当日は、この三師が初めて一堂で講演されるという画期的な催しで
もあり、定員二千四百人を収容する京都会館第一ホールに二千七百人あまりの聴衆が
集まり、満堂、立錐の余地なく三師の師子吼に耳を傾けました。
  また翌四月二十二日には、京都会館第一ホールにおいて、読売新聞社と共同主催
のもとに、真宗に縁の深い円地文子丹羽文雄吉川英治の三氏による記念講演会が
催され、この時も満堂の聴衆にそれぞれ深い感銘を与えました。」

ここまで聞いただけでも凄い取り組みだと思ってしまうけど

さらに続く


「この二つの記念講演会のほか、高倉会館では、ご法要の始まる三日前の四月十一
日から二十九日まで毎夕七時から九時まで記念講演会が開かれ、毎日それぞれ僧俗一
人ずつを原則として、のべ三十九人の著名な方々の講演会が開かれました。
  また大師堂と本堂では法要の合間や団体参拝の待ち合わせ時間などに、全国から
参集した布教使が、毎日五人交替で布教を行ない、また白洲の休憩所でも連日六人が
交替で布教し、団体参拝者の宿舎では一日三十六人が二人一班として二百三十軒の
宿舎伝道を行ない、団体参拝列車については神戸および米原まで出迎えて車中伝道に
あたった人がのべ四百人を越え、また団体参拝の人たちが、参拝後バスで聖跡巡拝を
行ないましたが、東大谷・山科別院・岡崎別院・六角堂・日野誕生院・法界寺・比
叡山などにそれぞれ三人ないし五人の駐在伝道員をおいて解説伝道に当たらせました。」

(筆録は藤場先生)


うーーーん、凄い

というか、組としての取り組みを考え直さなくては