写真は帝釈天の乗り物
「白象」
乗り捨てられている。
まあ、現代でいったらベンツのSLK
それすらも、
・・・・・
さて、雪山童子が身を以て求めた真実の教え
雪山をしてその偈を問わしめた
帝釈天について
袴谷憲昭さんは次のように述べている
(この捨身聞偈の話は)はるか昔の話者たる仏の過去世ぶ仏自身がまだ苦行者として修行していた頃の雪山(ヒマラヤ)山中ということになる。そこへちょうど真の苦行者を求めていた主シャクラ(釈提桓因=帝釈(筆者ebaponの注記))の登場となるのである。このシャクラは自分の座を苦行者に奪われることを惧れているが、経典はその理由をまったく述べていない。そこには恐らく「天の五衰」という事情があったろうと思われる・・・
(袴谷憲昭『仏教入門』大蔵出版)