教行信証の読み方 余話

先年行われた、教行信証の解体修理

プロのカメラマンが一枚一枚撮影していった。

立ち会っていた学者さんが、重文撮影の経験の多い撮影技師に

「800年あまりたっている坂東本ですが

あとどれぐらい持つ物なのでしょうか」

と問うたそう。

「この書には作者の怨念が籠もっている

無くなる物ではない」

と答えたそう。

前回、朱に触れた。

経年変化で「朱」が読み取りがたいのである。


(実はこの坂東本

何度も危機にさらされた。

所蔵していた坂東報恩寺は何度も火災に遭っているのである。

最たるものは、関東大震災

当時は、浅草別院の経蔵の金庫にしまわれてたそう。

地震で蔵は半壊。教行信証も金庫の中で運び出せない。

地面に埋め、水桶を置いた。

その甲斐もあって、火災下でも焼失しなかった)


江戸末期、開帳もしていた坂東本。

宗学者も、臨書本座右に研究しだした。

香月院深励も模写本で講録を出している。

そのお弟子さんに校讐学、書道に秀でた

丹山順芸1785‐1847がいた。

(写真 丹山肖像 浄勝寺蔵)

一切経の校讐に勤しみ

麗蔵校合黄檗一切経を十余年かけて完成したりしている。


その彼が、朱書の再現や筆勢に及ぶまで正確無比な臨写本を完成させたのである。


で、その本(「真宗大学寮所蔵本(大谷大学蔵)」「禿庵文庫本(丹山文庫旧蔵本)」)を

参照して「朱」を再現したのが、ponが手にしている

親鸞聖人真蹟集成』所収の教行信証なんだそうである。

ふぅ

丹山はponにとっては

金子大榮校訂『信珠院順芸師 宗典研究』所収

「称名信楽二願希決・読言南無者釈」

を著した宗学者としてのイメージが強い。