外部の異質なるもの4

ebaponの宗教哲学の手を半年止めた


「外部の異質なるもの」


(『寄生獣』2より)

その突然の遭遇は、見知らぬ他者との出会いの形をとらず

「新一」において「母なるもの」として不可避的に出遇わなければならなかったように

きわめてインティメートな相貌をとって、不意にあらわれた。


(「セント・トーマス考」で少しく触れてきた

大乗仏教興起の誘因となった聖トマスの福音伝道

それは、仏教に「外部の異質なるもの」

すなわち「自己犠牲的利他主義」の衝撃をもたらした。)


ebaponはそれまで、「利他主義」はすでに原始仏教に内在し、それが大乗仏教として花開いたと考えていた。

(この点は後日触れていく)

そうではなく、「外部の異質なるもの」として「自己犠牲的利他主義」がもたらされたということは

「疑問手」ではあるものの、熟考を要するものであった。



利己的な遺伝子」にして、地球上に「外部の異質なもの」として現れた田村玲子

 彼女は大学で学ぶのは


(二つとも『寄生獣』6より)


「自己犠牲的利他行動」


ebaponも田村玲子となって(名前はどうでもいい)大乗仏教における「利他主義(=大乗主義)」を追究する。