ebaponの宗教哲学の手を半年止めた
「外部の異質なるもの」
(『寄生獣』2より)
その突然の遭遇は、見知らぬ他者との出会いの形をとらず
「新一」において「母なるもの」として不可避的に出遇わなければならなかったように
きわめてインティメートな相貌をとって、不意にあらわれた。
(「セント・トーマス考」で少しく触れてきた
大乗仏教興起の誘因となった聖トマスの福音伝道
それは、仏教に「外部の異質なるもの」
すなわち「自己犠牲的利他主義」の衝撃をもたらした。)
ebaponはそれまで、「利他主義」はすでに原始仏教に内在し、それが大乗仏教として花開いたと考えていた。
(この点は後日触れていく)
そうではなく、「外部の異質なるもの」として「自己犠牲的利他主義」がもたらされたということは
「疑問手」ではあるものの、熟考を要するものであった。
「利己的な遺伝子」にして、地球上に「外部の異質なもの」として現れた田村玲子
彼女は大学で学ぶのは
(二つとも『寄生獣』6より)
「自己犠牲的利他行動」